明治10年(1877年)の西南戦争では、西郷軍と戦いました。
川村純義誕生地は、鹿児島市荒田一丁目にあります。
この記事では、川村の人生を簡単に紹介します。
川村純義の人生
誕生
当時は、高麗方限(こうらいほうぎり)と呼ばれ、大久保利通も、この地域で生まれました。
戊辰戦争
会津戦争における十六橋の戦いでは、敵による橋の爆破を阻止。
官軍を、会津若松城に導きました。
日本海軍創設
明治5年(1872年)には、近代日本海軍を創設。
海軍省発足に伴い、海軍少輔となりました。
西南戦争
川村は、鹿児島に赴いて西郷隆盛と会談し、出兵上京を回避させようとしました。
しかし西郷は、私学校幹部に会談を反対され、川村はやむなく鹿児島を去りました。
そして、同軍の河野主一郎と山野田一輔が、西郷に真の任務を明かさず、川村との面会に赴きました。
西郷助命を、直接訴えるためです。
「助命は天皇大権のため、まずは軍門に下るように」
と、川村は2人に諭します。
これに対して西郷は、返答をしませんでした。
翌日、政府軍は総攻撃を開始。
旧浄光明寺境内(現在の南洲墓地)で、川村は西郷の遺体を検死しました。
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昭和天皇御養育・死去
同年、川村は皇太子養育係に任じられ、自宅で御養育しました。
しかし、3年目の明治37年(1904年)、川村は病気で亡くなります。
生前の功績により、死後、海軍大臣に昇格しました。
川村純義誕生地のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市荒田1丁目1 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で35分 |
鹿児島中央駅から車で3分 | |
鹿児島中央駅から徒歩10分 | |
まち巡りバス 鹿児島中央駅前から徒歩10分 |
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カゴシマシティビュー 鹿児島中央駅前から徒歩10分 |
川村純義誕生地の地図
川村純義誕生地の総評
そのため、結構アッサリとしたスポットです。
ちなみに明治31年(1898年)、上野で西郷像除幕式が行われた際、川村はスピーチを行っています。
挙兵が西郷の本意でなかったことを、川村は充分把握していました。
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