北部エリア

桐野利秋誕生地

桐野利秋誕生地

桐野利秋誕生地

 

桐野利秋って、何をした人なの?

 

明治10年(1877)の西南戦争で、西郷軍を指揮した人物です。

 

 

桐野利秋誕生地は、鹿児島市吉野町にあります。

 

この記事では、誕生地の概要や逸話を紹介します。

 

 

桐野利秋誕生地の概要

出入口

出入口

出入口

出入口

出入口

 

誕生地に行くには、まずは階段を上る必要があります。

 

上ってすぐの公園にあるんだね。

 

 

出入口は階段になっていますが、徒歩30秒で着きます。

 

誕生地は現在、実方(さねかた)公園という小さな広場になっています。

 

 

石碑

石碑と解説板

石碑と解説板

 

立派な石碑~。

 

この石碑は、大正9年(1920年)に建てられました。

 

 

桐野利秋誕生地の逸話

貧しい生活

石碑

石碑

 

天保9年(1838年)、桐野は中村兼秋の次男として生まれました。

 

暮らしぶりは、どうだったの?

 

 

中村家の家格は、城下士として下から2番目の御小姓与(ごしょうよ)。

 

しかし少年時代、父・与左衛門が徳之島へ流刑となり、家禄を失います。

 

また、兄も病死したため、桐野は農業・開墾・紙すきなどで家計を支えました。

 

 

山下孫兵衛の施し

桐野利秋田蘆跡

桐野利秋田蘆跡

 

めちゃめちゃ苦労したんだね......!

助ける人はいなかったの?

 

史料には、山下孫兵衛の名前が何度か出てきます。

 

 

主食がカライモの中村家にとって、歳末に餅を備えることは難しいことでした。

 

これを孫兵衛が憐れみ、餅米を贈った逸話が残っています。

 

また明治6年(1873年)に下野した際、桐野は孫兵衛を頼って山野を開墾しました。

 

 

関連記事

 

 

剣術

石碑裏

石碑裏

 

また桐野は貧しいながらも、武芸の鍛錬を怠りませんでした。

 

ここで稽古をしていたの?

 

 

幼少の頃から立ち木打ちに徹し、自宅や近所の庭木に1日8,000回打ち込み、すべて枯らせるほど鍛錬に励みました。

 

その甲斐もあり、軒先から1滴の雨だれが地面に落ちる間に、3度抜刀して3度鞘に収められるほどの腕前に。

 

小示現流・伊集院鴨居の道場にも通い、京で西郷隆盛の警護に従事しました。

 

 

 

 

坂本龍馬の訪問

 

京での活動を機に、桐野は坂本龍馬と親しくなります。

桐野の妻・久は、慶応2年(1866年)に龍馬が桐野家を訪問した、と証言しています。

 

わざわざ桐野の家を訪れるぐらいだから、よっぽど親しかったんだね。

 

 

 

 

桐野利秋誕生地のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市吉野町389
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で35分
鹿児島中央駅から車で20分
実方(さねかた)神社バス停から徒歩3分

 

 

桐野利秋誕生地の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

桐野利秋誕生地の総評

 

公園には樹木が多く、

「このような木を、すべて枯らせたのか」

と、感慨に浸れます。

 

ディープな歴史ファンなら、訪れるべき場所の1つかも!

 

 

この記事の参考文献はこちら

 

 

 

 

桐野利秋誕生地の関連記事

 

 

 

 

 

 

 

 

-北部エリア
-中村兼秋, 伊集院鴨居, 坂本龍馬, 山下孫兵衛, 桐野久, 桐野利秋, 薬丸兼義, 西郷隆盛