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村田新八誕生地

村田新八誕生地

村田新八誕生地

 

村田新八って、どういう人だったの?

 

西郷隆盛を裏で支えた存在ながら、勝海舟から

「大久保利通に次ぐ傑物」

と、言われたほどの人物でした。

 

 

村田新八誕生地は、鹿児島市の加治屋町にあります。

 

この記事では、誕生地の概要と新八の人生を、簡単に紹介します。

 

 

村田新八誕生地の概要

石碑

石碑

石碑

 

天保7年(1836年)、新八は薩摩藩士・高橋八郎の三男として生まれました。

 

ふむふむ。

 

 

実は、新八の誕生地は4説あります。

 

そのため、石碑のある加治屋町で生まれたかどうか、現時点で否定も断定もできない状態です。

 

 

村田家旧宅跡

村田家旧宅跡

村田家旧宅跡

 

文久元年(1861年)、26才の新八は村田十蔵の養子となり、高橋新八から村田新八になりました。

その村田家の住宅は、石碑と同じ番地の現・鹿児島中央高校グラウンドにありました。

 

養子入りしてから、この場所で住んだんだね~。

 

 

上記写真の中心に、赤い消火栓の標識が写っていますよね?

 

村田家旧宅は、この付近にあったと考えられています

 

 

村田新八の人生

精忠組結成

 

新八が歴史の表舞台に出てくるのは、安政6年(1859年)に結成された精忠組への参加です。

 

精忠組?

 

 

精忠組とは、西郷を首領とした下級藩士の若手グループです。

 

薩摩藩の国父・島津久光は、精忠組を取り込んで藩政に参加させました。

 

そのため、新八も国事奔走することになりました。

 

 

流島

森山新蔵の墓

森山新蔵の墓

 

文久2年(1862年)、新八と西郷は、九州諸藩の形勢を視察するため、鹿児島を出発。

幕政改革のための率兵上京を控えた久光からは、下関で待機するよう命じられていました。

 

率兵上京前の、露払いみたいな役目だったんだね。

 

 

しかし、尊王志士による反幕の挙兵計画を聞いた2人は、これを抑えるため、下関で合流した森山新蔵と上京。

 

この行動が無断上京として久光の怒りを買い、新八は捕縛されて喜界島に流されました。

 

 

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龍馬裏書を届ける

 

元治元年(1864年)に赦免された新八は、西郷の裏方として活動。

その中で最も重要な任務の1つだったのが、龍馬裏書を木戸孝允に届けたことでしょう。

 

龍馬裏書?

 

 

慶応2年(1866年)、長州の木戸と薩摩の小松帯刀など両藩首脳部は、坂本龍馬立ち会いのもとに薩長同盟を締結。

 

しかし口約束の同盟だったため、木戸が明文化し、内容に相違がないか龍馬に手紙を送りました。

 

龍馬は手紙裏に朱墨で

 

『相違なし』

 

と書き、新八と川村純義が改めて木戸に届けました。

 

 

岩倉使節団として渡米

 

維新後の明治4年(1871年)、新八は大久保や岩倉具視と、欧米視察や条約改正のため日本を発ちました。

この派遣団は、通称・岩倉使節団として知られています。

 

学校で習ったことがある!

新八も参加してたんだね~。

 

 

私学校で監督指導

私学校跡

私学校跡

 

帰国後の新八は、明治6年(1873年)の政変で下野した西郷の後を追う形で、いったん鹿児島に戻ります。

そして、明治7年(1874年)に設立された私学校で、砲術学校の監督に就きました。

 

新八は、砲術を得意としていたんだね。

 

 

新八は一時期、薩摩藩の砲術家・中原猶介の家に通い、川村や辺見十郎太と砲術を学びました。

 

また桐野利秋と共に、信濃上田藩士・赤松小三郎から、イギリス式兵学を教わったこともありました。

 

 

 

 

西南戦争で戦死

村田新八の墓

村田新八の墓

 

しかし明治10年(1877年)、私学校生徒の暴発で西南戦争が勃発。

新八は二番大隊長として戦果を挙げましたが、次第に追い詰められました。

そして同年9月24日、鹿児島の城山で戦死。

享年42才でした。

 

新八の人生は、西郷と共にあったんだね。

 

 

墓は鹿児島市上竜尾町の南洲墓地や、同市草牟田1丁目の草牟田墓地にもあります。

 

大正5年(1916年)、従五位を追贈され、新八の名誉は回復しました。

 

 

 

 

村田新八誕生地のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市加治屋町10
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で5分
鹿児島中央駅から徒歩10分
まち巡りバス
維新ふるさと館前から徒歩1分
カゴシマシティビュー
維新ふるさと館前から徒歩3分

 

 

村田新八誕生地の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

村田新八誕生地の総評

 

石碑は、結構アッサリとしたものです。

予備知識なしであれば、5分以内で立ち去るスポットと言えます。

なので、この記事で予習して現地でも読んで下さいまし。

 

記事で紹介した通り、同じ番地に村田家旧宅跡があります。

新八好きなら、寄ってみて下さいな。

 

 

この記事の参考文献はこちら

 

 

 

 

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