西部エリア

みっかんざか

みっかんざか

みっかんざか

 

みっかんざか(水上坂)って?

 

鹿児島城下から北上するルート上にあり、旅の最初の難所でした。

この坂を通って、薩摩藩主は参勤交代で江戸に向かったんですよ。

 

 

みっかんざかは、鹿児島市常盤2丁目にあります。

 

この記事では、坂の概要や逸話を紹介します。

 

 

みっかんざかの概要

上り口

石橋跡

石橋跡

石橋跡

石橋跡

 

みっかんざかの上り口は、市道に埋まっている石橋です。

 

車1台分しか通れない狭さだね。

 

 

みっかんざか上り口の石橋は、幅が約4.4mしかありません。

 

上記写真の通り、全般的に道が狭いです。

 

車の往来が多いので、ご注意下さい。

 

 

水神様

水神様(阿弥陀井)

水神様(阿弥陀井)

 

こちらは石橋の目の前にある、水神様(阿弥陀井)です。

昔は水が湧き、茶屋がありました。

 

ここで一息いれて、坂を登ったんだね。

 

 

現在は水神様の前に、水道の蛇口があります。

 

夏場は暑いので、喉を潤すと良いでしょう。

 

 

東・西客屋跡

東・西客屋跡(水上の御仮屋)

東・西客屋跡(水上の御仮屋)

東・西客屋跡(水上の御仮屋)

東・西客屋跡(水上の御仮屋)

 

こちらも石橋の目の前にある、東・西客屋跡(水上の御仮屋)です。

参勤交代中の藩主の休憩所でした。

 

へーっ!

 

 

出国時は旅装束、帰国時は国入り装束に着替えたので、御装束門屋敷とも呼ばれていました。

 

安政元年(1854年)、参勤交代中の島津斉彬は、西郷隆盛を屋敷付近で初見したと伝えられています。

 

 

西郷隆盛関連記事

 

 

みっかんざか

みっかんざか

 

それでは、坂を上ってみましょう。

昔の人は、頂上から見える桜島を眺めて、京・江戸方面に向かったんですよ。

 

鹿児島の見納めの景色だったんだね。

 

 

上り口から頂上まで、徒歩で約10分。

 

急勾配な箇所があるため、運動不足の方は少し苦労します。

 

 

頂上

頂上

頂上

 

着いたーっ!!

って、桜島が見えないんですけどーっ!!

 

すまん、これが現実だ。

 

 

残念ながら現在は頂上に団地が建っており、桜島を望めません。

 

ただし、昔の人の苦労を知るには最適な坂道ですよ(笑)

 

 

みっかんざかの逸話

西郷と大久保の妙円寺詣り

 

みっかんざかは、妙円寺詣りのルートでもありました。

 

妙円寺詣り?

 

 

妙円寺詣りとは、関ヶ原の合戦後、苦労して薩摩に帰り着いた17代・島津義弘を偲ぶ行事です。

 

青年時代の大久保利通は

 

「西郷と、みっかんざかを上って妙円寺詣りに参加した」

 

と、日記に書き残しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

寺島宗則の送別の辞

 

天保13年(1842年)、27代・島津斉興は参勤交代のため、鶴丸城を出発します。

当時10才だった寺島宗則は、斉興の側室・お由羅に、みっかんざかで送別の辞を述べました。

 

寺島宗則?

 

 

寺島宗則は、維新後に神奈川県知事や外務卿を務めた人物です。

 

この送別の辞をきっかけに、弘化2年(1845年)、13才で江戸に藩費留学します。

 

英才教育を受けた寺島は、斉彬の右腕として集成館事業を支え、薩摩藩や明治政府の外交・教育を担いました。

 

 

 

 

みっかんざかのアクセス・駐車場・料金

通行時間 自由
場所 鹿児島市常盤2丁目20番地~武岡1丁目2番地
料金 無料
駐車場 駐車スペースあり
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で10分
常盤バス停から徒歩10分

 

 

みっかんざかの地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

みっかんざかの総評

 

車でお越しの場合、カーナビの目的地を、上記地図の『遠矢食品』に設定して下さい。

 

水神様の横に、車1台分の駐車スペースがあります。

 

 

繰り返しますが、車の往来が激しいです。

 

そのため、幼児を連れての散策はオススメしません。

 

じっくりと大人が味わうスポットです。

 

 

この記事の参考文献はこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-西部エリア
-お由羅, 大久保利通, 寺島宗則, 島津斉彬, 島津斉興, 島津義弘, 篤姫, 西郷隆盛, 調所広郷