この坂を通って、薩摩藩主は参勤交代で江戸に向かったんですよ。
みっかんざかは、鹿児島市常盤2丁目にあります。
この記事では、坂の概要や逸話を紹介します。
みっかんざかの概要
上り口
みっかんざか上り口の石橋は、幅が約4.4mしかありません。
上記写真の通り、全般的に道が狭いです。
車の往来が多いので、ご注意下さい。
水神様
昔は水が湧き、茶屋がありました。
現在は水神様の前に、水道の蛇口があります。
夏場は暑いので、喉を潤すと良いでしょう。
東・西客屋跡
参勤交代中の藩主の休憩所でした。
出国時は旅装束、帰国時は国入り装束に着替えたので、御装束門屋敷とも呼ばれていました。
安政元年(1854年)、参勤交代中の島津斉彬は、西郷隆盛を屋敷付近で初見したと伝えられています。
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坂
昔の人は、頂上から見える桜島を眺めて、京・江戸方面に向かったんですよ。
上り口から頂上まで、徒歩で約10分。
急勾配な箇所があるため、運動不足の方は少し苦労します。
頂上
って、桜島が見えないんですけどーっ!!
残念ながら現在は頂上に団地が建っており、桜島を望めません。
ただし、昔の人の苦労を知るには最適な坂道ですよ(笑)
みっかんざかの逸話
西郷と大久保の妙円寺詣り
妙円寺詣りとは、関ヶ原の合戦後、苦労して薩摩に帰り着いた17代・島津義弘を偲ぶ行事です。
青年時代の大久保利通は
「西郷と、みっかんざかを上って妙円寺詣りに参加した」
と、日記に書き残しています。
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寺島宗則の送別の辞
当時10才だった寺島宗則は、斉興の側室・お由羅に、みっかんざかで送別の辞を述べました。
寺島宗則は、維新後に神奈川県知事や外務卿を務めた人物です。
この送別の辞をきっかけに、弘化2年(1845年)、13才で江戸に藩費留学します。
英才教育を受けた寺島は、斉彬の右腕として集成館事業を支え、薩摩藩や明治政府の外交・教育を担いました。
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みっかんざかのアクセス・駐車場・料金
通行時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市常盤2丁目20番地~武岡1丁目2番地 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 駐車スペースあり |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
常盤バス停から徒歩10分 |
みっかんざかの地図
みっかんざかの総評
繰り返しますが、車の往来が激しいです。
そのため、幼児を連れての散策はオススメしません。
じっくりと大人が味わうスポットです。
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