野屋敷とは農事小屋のこと。
住宅と違い、大した生活用具はありませんでした。
西郷南洲野屋敷跡は、鹿児島市西別府町にあります。
この記事では、西郷南洲屋敷跡の概要や、逸話を紹介します。
西郷南洲野屋敷跡の概要
出入口
小さな看板が目印です。
通路
全体像
こちらが、かつての開墾地です。
西郷や弟の吉二郎、従道は朝早く来て、サツマイモ、サトイモ、麦などを作り、薪(まき)を背負って夜に帰りました。
当時の西郷一家は、いわば半農半士の生活を送っていたのです。
石碑
石碑には、
「藩政時代、城下に住む小禄の武士に対し、藩庁が郊外に山野耕地を与え、開墾させた。
西郷も西別府に来て、自ら耕作した。」
と、書かれています。
山桃の木
樹齢は250年以上です。
この山桃の木を、西郷は間違いなく見たはず。
東屋の目の前にあります。
西郷南洲野屋敷跡の逸話
面会人を避けるために利用
生活の拠点を、東京から鹿児島の武屋敷に移しました。
そのため西郷は、面会人を避けるために、この地をよく1人で訪れていました。
そして、暗くなるまで時間を潰していたのです。
西郷一家の避難場所
避難時の主食は、芋がゆ。
この頃の暮らしを、弟・従道の妻である清子(すがこ)が、自分や子供の衣類・食事を減らしてまで、援助を続けました。
西郷菊次郎の帰還
菊次郎は西郷軍に従軍するも、被弾して右足を切断。
その後、叔父・従道のもとに降り、放免されて戻ってきたのです。
従道のもとへ降る際、菊次郎をおぶったのが従僕・熊吉です。
熊吉は、放免された宮崎から再度菊次郎をおぶり、鹿児島まで辿り着きました。
関連記事
西郷に新しい着物と帯を送る
すると糸は、新しい着物と帯を熊吉に託して夫に届けさせました。
着物と帯は、西郷のもとへ無事届けられます。
この時、西郷は一家が西別府にいることを初めて知りました。
関連記事
西郷の死を知る
吉左衛門は、西郷の首を隠した人物です。
2人は、前日の早朝に西郷が別府晋介に介錯されたことを、糸に伝えました。
関連記事
西郷南洲野屋敷跡のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市西別府町2790 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で35分 |
鹿児島中央駅から車で15分 | |
鹿実前バス停から徒歩5分 |
西郷南洲野屋敷跡の地図
西郷南洲野屋敷跡の総評
そのため、秋・冬・春の訪問がオススメ。
夏にしか来れない場合、虫除けスプレーをご持参下さい。
チェック
西郷南洲野屋敷跡の関連記事