南林寺由緒墓は、鹿児島市南林寺町の南洲寺にあります。
この記事では、南林寺由緒墓の概要を紹介します。
南林寺由緒墓の概要
南洲寺正門
まずは南洲寺境内にある唯一の墓、僧月照の墓を紹介します。
こちらの正門から、お入り下さい。
南林寺由緒墓
月照は西郷隆盛と錦江湾に入水した、勤皇の僧でした。
西郷は息を吹き返すも、月照は不帰の人に。
明治時代の西郷は、妻・糸との間に生まれた寅太郎を連れ、よく墓参りに訪れました。
柏木源藤の墓
南洲寺正門を出て左に曲がると、40基ほどの墓があります。
こちらにある墓を、いくつか紹介します。
柏木源藤は、慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦いに参戦。
主君・島津義弘を追撃中の井伊直政を狙撃し、義弘の命を助けました。
すごーい!
戦後の直政は、源藤に狙撃されたにも関わらず、島津家の処分回避に尽力してくれました。
そのおかげで島津家は罰せられず、領地も安堵されます。
しかし直政は、狙撃された傷が原因で、合戦から2年後に死去。
訃報を聞いた源藤は行方知れずの流浪人となり、この供養墓が建てられました。
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薬丸兼義の墓
その威力から、薩摩藩の下級武士間で流行。
ついには、藩から師範家のお墨付きを得ました。
日露戦争での連合艦隊司令長官・東郷平八郎も、兼義の門下生だったんですよ。
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迫田利済の墓
飢饉の年には、年貢を軽減しない藩庁に抗議して役職を辞任。
農民・農業を大事にする思想は、西郷の人生に大きな影響を与えました。
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橋口伝蔵の墓
遺骸は、京の大黒寺に密葬。
この墓には、遺髪が納められています。
森山新五左衛門の墓
寺田屋事件で重傷を負い、手当てを受けるも、翌日に切腹を言い渡されました。
こちらも遺髪墓です。
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森山新蔵の墓
寺田屋事件当時の新蔵は、国父・島津久光の命令に背いた罪で、西郷や村田新八と山川沖の船中に幽閉されていました。
そして、息子の切腹を聞いた新蔵も、船中で自害しました。
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東郷愛之進の墓
帰国後は、戊辰戦争で各地を転戦。
そして明治元年(1868年)、陣中で死去しました。
鹿児島中央駅前の〈若き薩摩の群像〉に、東郷の銅像が建っています。
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赤塚源六の墓
赤塚は軍艦春日の艦長として、旧幕府海軍を全滅させました。
函館戦争の勝利に、大いに貢献した人物です。
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南林寺由緒墓のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市南林寺町23-22 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 無料 |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
まち巡りバス 天文館から徒歩10分 |
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カゴシマシティビュー 天文館から徒歩10分 |
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電話 | 南洲寺 099-222-5655 |
南林寺由緒墓の地図
南林寺由緒墓の総評
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