有名な薩英戦争は、天保山砲台からの砲撃で始まったんですよ。
天保山砲台跡は、鹿児島市天保山町にあります。
この記事では、天保山砲台跡の概要や、歴史を紹介します。
天保山砲台跡の概要
出入口
まずは、公園出入口から歩いて行きましょう。
松林
この中に、砲台跡があります。
この標識の左奥に、もう1つ標識が見えますよね?
あそこまで、行ってみましょう。
砲座
こちらは、砲座です。
松林を散策すると、もう1つの砲座を見つける事が出来ますよ。
ウロウロするのは大事だね(笑)
この円状の砲座は、当時最新のキスト砲架のために設置されました。
しかし薩英戦争絵巻の天保山砲台に、キスト砲架や円状の砲座は描かれていません。
そのため、これらの砲座は戦後に整備されたものと考えられます。
胸墻石垣
敵艦からの砲弾を防ぎ、味方の砲射を援護するために築かれました。
この石垣に隠れて、イギリスの砲弾から身を守ったかもね。
天保山砲台跡の歴史
埋め立て
そして幕末時の河口は、度重なる洪水によって土砂で覆われ、スムーズに流れない状態でした。
そこで家老の調所広郷は、河口の土砂を取り除き、なおかつ幅を広げる事業に着手します。
取り除いた土砂の置き場が、やがて大きな埋立地になり、天保年間に完成。
そのため、この地が天保山と呼ばれるようになりました。
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砲台設置
これが天保山砲台の始まりです。
でも、どうして砲台を?
実は当時、薩摩藩の占領下だった琉球に、イギリス・フランス艦隊が何度も来航し、開国を求めていました。
これら海外の脅威に対抗するため、天保山ほか複数の場所に砲台を設置したのです。
薩英戦争
しかし、薩摩側は要求を拒否。
話し合いは、平行線を辿りました。
そこでイギリス側は、交渉を有利に進めるために、薩摩藩の汽船3隻を拿捕。
薩摩藩は、これを宣戦布告と捉えます。
各砲台に砲撃の命を下し、天保山砲台からの発射を以って、薩英戦争が始まりました。
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天保山砲台跡のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市天保山町14-15 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
共月亭前バス停から徒歩3分 |
天保山砲台跡の地図
天保山砲台跡の総評
この後、薩摩藩はイギリスと和解し、友好関係を結びます。
藩内に攘夷の風は止み、開国を是とする考えが広まりました。
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