奈良原繁・喜左衛門の墓は、鹿児島市郡元町の露重(つゆしげ)墓地にあります。
この記事では
- 墓の概要
- 両兄弟と歴史的事件との関わり
を、紹介します。
奈良原繁・喜左衛門の墓の概要
出入口
まずは志學館大学の校舎が見える、小さな階段をお探し下さい。
奈良原家の墓域
石灯籠もあって、立派!
奈良原繁の墓
大正7年(1918年)、鹿児島市で亡くなりました。
奈良原喜左衛門の墓
慶応元年(1865年)、京の二本松藩邸で病死しました。
繁と比べて、随分早く亡くなったんだね。
奈良原繁と寺田屋事件
世に言う、寺田屋騒動です。
それに繁が関わっていたんだね。
圧巻は、鎮撫後でした。
西郷従道や大山巌など過激派約30名のいる2階に、繁は駆け上がります。
そして大小の刀を捨て、もろ肌脱いで合掌し、帰順するよう懸命に説得しました。
大久保利通は、繁の説得を、
「神妙の働き」
と、讃えました。
凄いなあ。
奈良原喜左衛門と生麦事件
しかし、途中で出会った島津久光の列中に、騎乗のまま入り込んでしまいます。
これによって騒動が起き、喜左衛門がチャールズを斬り付けます。
チャールズは逃走するも、やがて落馬。
そして、海江田信義(有村俊斎)によってトドメを刺されました。
翌年の文久3年(1863年)に、イギリス艦隊と薩摩藩が交戦した、薩英戦争の原因にもなりました。
奈良原繁・喜左衛門の墓のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市郡元町9 露重墓地内 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 駐車スペースあり |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
郡元駅から徒歩10分 | |
郡元バス停から徒歩10分 |
奈良原繁・喜左衛門の墓の地図
奈良原繁・喜左衛門の墓の総評
両兄弟の墓は、現在、御子孫の方が維持・管理されています。
お墓参りの際には、決してゴミをお捨てにならないで下さい。
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