造士館・演武館跡は、鹿児島市山下町の中央公園内にあります。
この記事では、造士館・演武館跡の概要や、歴史と逸話を紹介します。
造士館・演武館跡の概要
出入口
四方から何時でも自由に立ち入りできますよ。
跡地
造士館では学問を、演武館では武芸が教えられました。
運営資金は藩から与えられ、学費は徴収されませんでした。
当時、造士館で掲げられていた重豪揮毫の額の複製が、尚古集成館に展示されています。
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石碑
両施設の見取り図など、当時の様子を知ることができますよ。
標柱
こちらは、大正時代のものです。
造士館・演武館の歴史
造士館
実は、幕末の志士が教官として教え、生徒としても教わった、歴史的に見ても重要な藩校でした。
造士館は、江戸の湯島聖堂と昌平坂学問所がモデルでした。
8~22才の藩士子弟が、朱子学・儒教など、主に東洋の科目を学びましたが、庶民の聴講も許されていました。
あの西郷隆盛や大久保利通も、勉学に励みました。
造士館の生徒
- 西郷隆盛(陸軍大将)
- 大久保利通(内務卿)
- 村田新八(宮内大丞)
- 松方正義(総理大臣・大蔵大臣)
- 篠原国幹(近衛長官)
- 長澤鼎(カリフォルニアのブドウ王)
- 森有礼(文部大臣)
- 五代友厚(大阪商法会議所初代会頭)
- 大山巌(陸軍大臣)
- 東郷平八郎(連合艦隊司令長官)
造士館の教官
- 伊地知正治(薩摩藩軍奉行)
- 有馬新七(寺田屋騒動で闘死)
- 堀次郎(島津久光側近)
- 篠原国幹(近衛長官)
- 重野安繹(歴史家)
- 柴山愛次郎(寺田屋騒動で闘死)
- 橋口壮介(寺田屋騒動で切腹)
元治元年(1864年)には小川町に開成所が設立され、造士館の優秀な生徒が学びました。
慶応元年(1865年)、開成所から更に選りすぐりの生徒が、イギリスに留学しました。
これらは薩摩スチューデントと呼ばれ、その多くが明治政府に出仕し、新時代の幕開けを担いました。
演武館
- 剣術
- 槍術
- 弓術
- 馬術
など、藩中武芸の中心道場で、犬迫物も行われました。
示現流の東郷家、犬追物の川上家など、師範22家が教える本格的な稽古所でした。
造士館・演武館跡の逸話
西郷隆盛の負傷
この負傷で西郷は右肘がまっすぐ伸びず、武の道を諦めます。
代わりに勉学に励み、やがて薩摩藩の若手リーダーとして活躍しました。
造士館・演武館跡のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市山下町4-1 |
料金 | 無料 |
駐車場 | セラ602(中央公園地下) 30分150円 |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で5分 | |
まち巡りバス 西郷銅像前から下車すぐ |
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カゴシマシティビュー 西郷銅像前から下車すぐ |
造士館・演武館跡の地図
造士館・演武館跡の総評
チェック
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