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開成所跡

開成所跡

開成所跡

 

開成所って、どういう所だったの?

 

西洋の学問と軍事科学を学ぶ、エリート養成学校でした。

 

 

開成所跡は、鹿児島市小川町にあります。

 

この記事では、開成所の歴史や、組織概要を紹介します。

 

 

開成所の歴史・組織概要

設立

小松帯刀・大久保利通・町田久成肖像写真

小松帯刀・大久保利通・町田久成肖像写真

 

文久3年(1863年)、薩英戦争が勃発し、鹿児島城下の1/10が焼かれます。

これにより、薩摩は西洋の脅威を肌で感じました。

 

被害が甚大だったんだね。

 

 

そこで、小松帯刀、大久保利通、町田久成の3人が中心となり、翌元治元年(1864年)に設立されました。

 

 

教員

 

教員数は、時期により変動がありました。

多い時には、計34名の教授が授業を行いました。

 

結構、多いね!

 

 

この中に、ジョン万次郎・前島密の2名がおり、生徒に英語などを教えました。

 

また、教員でありながら生徒である人物も複数いました。

 

 

生徒

造士館・演武館跡

造士館・演武館跡

 

生徒は藩校・造士館の中から、特に優秀な生徒70~80名が選ばれました。

 

なにせ、エリート養成学校だもんね。

 

 

生徒は稽古扶持、つまり給料に値する米をもらって学問を習いました。

 

一説には、生徒のモチベーションを上げるためと言われています。

 

 

 

 

科目

 

エリート養成学校ゆえ、学ぶ内容は多岐に渡りました。

 

例えば、どんな?

 

 

  • 砲術
  • 操練
  • 航海
  • 造船
  • 兵法
  • 蘭語
  • 英語
  • 物理
  • 化学
  • 築城
  • 天文
  • 地理
  • 数学
  • 測量
  • 器械
  • 分析
  • 医学

 

 

以上、20近くにおよぶ西洋学問と軍事科学を学びました。

 

これは、城下を焼かれた薩英戦争の苦い経験に基づくものでした。

 

 

留学生派遣

若き薩摩の群像

若き薩摩の群像

 

この生徒の中から、さらに選抜された生徒と句読師の計10名が、イギリスに留学することとなりました。

いわゆる、薩摩藩英国留学生です。

 

ふむふむ。

 

 

慶応元年(1865年)、留学生は海外渡航禁止令を破り、髷を切ってイギリスに留学。

 

英語や科学、法文などを学び、修了後は、それぞれの人生を歩みました。

 

 

 

 

開成所跡のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市小川町1
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で10分
まち巡りバス
薩摩義士碑前から徒歩10分
カゴシマシティビュー
薩摩義士碑前から徒歩10分

 

 

開成所跡の地図

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開成所跡の総評

長澤鼎・森有礼肖像写真

長澤鼎・森有礼肖像写真

 

開成所から派遣された留学生の中には、カリフォルニアのブドウ王・長澤鼎や、初代文部大臣・森有礼がいました。

 

開成所って、軍事科目が主だったよね。

でもエリートなら、その枠外で活躍してもおかしくないね。

 

 

当時を偲ぶ物は、近年設置された看板のみ。

 

訪問前に、予習すると良いでしょう。

 

 

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