桂久武って、だーれ?
西郷隆盛の生涯の盟友で、薩摩藩家老を務めました。
桂久武の墓は、鹿児島市上竜尾町の南洲墓地にあります。
この記事では、桂の人生を簡単に紹介します。
桂久武の人生
誕生・養子入り
天保元年(1830年)、桂は島津家庶流の1つ、日置島津家の五男として生まれました。
ふむふむ。
安政2年(1855年)の26才の時、同じく島津家庶流の桂家に養子入りします。
これより桂姓となり、同家を継ぐことになりました。
大島守衛方
文久元年(1861年)、国父・島津久光による門閥政治打破の影響で、閑職の大島守衛方に配転されます。
名前からして、奄美大島の警護役だね。
赴任直前、奄美に身を隠していた西郷が、薩摩に帰藩します。
桂は、西郷から島妻・愛加那の世話を託され、その期待に応えました。
家老就任
元治元年(1864年)、桂は帰藩し、大目付に就任します。
そして慶応元年(1865年)、家老に昇格しました。
奄美大島の警護役から家老に昇格って、異例だね。
大目付・家老昇格には、薩摩藩の事実上の宰相、小松帯刀の働きがありました。
桂中心の政治派閥・日置派と、大久保利通中心の精忠組派をまとめ、藩内融和を図るためでした。
参事
明治2年(1869年)、桂は西郷や伊地知正治と、藩の参政に就きます。
そして、上級階級の禄高削減など、藩政改革を実行しました。
桂みずから身を削ったんだね。
西南戦争・戦死
しかし、明治10年(1877年)2月に、西南戦争が始まります。
桂は、西郷から出兵を誘われましたが、首を縦には振りませんでした。
桂なりに、考えがあったんだろうね。
しかし、西郷軍出立を見送っていた途中で翻意し、そのまま合流。
大小荷駄隊の隊長を務め、武器・兵糧の手配を担いました。
また、弓矢を用いて戦ったと言われています。
しかし、西郷軍は敗走を重ね、明治10年(1877年)9月24日、戦争最終日に城山で被弾し、桂は亡くなりました。
その後、名誉が回復され、大正5年(1916年)に、従五位が追贈されました。
とても立派なお墓だね。
桂久武の墓のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市上竜尾町2-1 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 無料 |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
まち巡りバス 南洲公園入口から徒歩5分 | |
カゴシマシティビュー 西郷南洲顕彰館前から下車すぐ |
桂久武の墓の地図
桂久武の墓の総評
桂の墓の後ろには、息子の久蒿も眠っています。
親子で戦死したんだね。
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