生家の屋敷跡は、大河ドラマで一躍知られるようになりました。
今和泉島津家本邸跡は、鹿児島市大竜町にあります。
この記事では、本邸跡の概要や逸話と、篤姫が藩主・島津斉彬の養女になった経緯を紹介します。
今和泉島津家本邸跡の概要
石垣
今和泉島津家本邸は、かつて4,608坪の広さがありました。
現在は、当時を偲ばせる石垣が通りに面しています。
今和泉島津家本邸跡の逸話
誕生
幼名を、於一(おいち)といいました。
しかし分家のお姫様ゆえ、誕生から養女入りまでの記録は、ほとんど残っていません。
分かっているのは、3人の兄と3人の妹がいたぐらいです。
篤姫が島津斉彬の養女になった経緯
江戸幕府からの縁談話
家定は非常に病弱で後継ぎがおらず、また、公家出身の夫人2人を相次いで亡くしていました。
そこで家定は、子沢山で長寿だった祖父・徳川家斉と同じく、島津家から夫人を迎えることを強く希望したのです。
家定夫人の候補となる
そこへ、父・島津忠剛に伴われた於一が挨拶にやって来ます。
体が丈夫で大きく、聡明な於一を気に入った斉彬は、家定夫人の候補に決めました。
また於一は、家定の祖父・家斉の夫人であった広大院と、近い血縁関係にありました。
家定が求める夫人像として、まさに於一は適役でした。
関連記事
養女に
その際、名前を篤子(篤姫)と改めました。
同年、篤姫は今和泉家から鶴丸城に入ります。
そして約2ヶ月半かけて、入輿の支度を整えました。
関連記事
今和泉島津家本邸跡のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市大竜町9-23 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
まち巡りバス 南洲公園入口から下車すぐ |
|
カゴシマシティビュー 今和泉島津家本邸跡から下車すぐ |
今和泉島津家本邸跡の地図
今和泉島津家本邸跡の総評
上記のような事前知識を持っておくと、感慨に浸れますよ。
ちなみに敷地内は、個人宅となっています。
決して無断で立ち入らないで下さい。
チェック
今和泉島津家本邸跡の関連記事