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今和泉島津家本邸跡

今和泉島津家本邸跡

今和泉島津家本邸跡

 

篤姫って、どこで生まれたの?

 

現在の鹿児島市大竜町です。

生家の屋敷跡は、大河ドラマで一躍知られるようになりました。

 

 

今和泉島津家本邸跡は、鹿児島市大竜町にあります。

 

この記事では、本邸跡の概要や逸話と、篤姫が藩主・島津斉彬の養女になった経緯を紹介します。

 

 

この記事は、2023年10月1日(日)に更新されました。

 

 

今和泉島津家本邸跡の概要

石垣

石垣

石垣

 

こちらが篤姫の誕生地である、今和泉島津家本邸宅跡の石垣です。

 

今もしっかり残ってるんだね。

 

 

今和泉島津家本邸は、かつて4,608坪の広さがありました。

 

現在は、当時を偲ばせる石垣が通りに面しています。

 

 

今和泉島津家本邸跡の逸話

誕生

 

天保6年(1836年)、篤姫は島津家の一門・今和泉島津家に生まれます。

幼名を、於一(おいち)といいました。

 

分家のお姫様だったんだね。

 

 

しかし分家のお姫様ゆえ、誕生から養女入りまでの記録は、ほとんど残っていません。

 

分かっているのは、3人の兄と3人の妹がいたぐらいです。

 

 

篤姫が島津斉彬の養女になった経緯

江戸幕府からの縁談話

 

嘉永3年(1850年)、江戸幕府から島津家に、将軍世子・徳川家定との縁談話がきます。

 

なんで、外様大名の島津家に?

 

 

家定は非常に病弱で後継ぎがおらず、また、公家出身の夫人2人を相次いで亡くしていました。

 

そこで家定は、子沢山で長寿だった祖父・徳川家斉と同じく、島津家から夫人を迎えることを強く希望したのです。

 

 

家定夫人の候補となる

 

翌年の嘉永4年(1851年)、斉彬は藩主として初めて鶴丸城に入城。

そこへ、父・島津忠剛に伴われた於一が挨拶にやって来ます。

体が丈夫で大きく、聡明な於一を気に入った斉彬は、家定夫人の候補に決めました。

 

運命が変わった瞬間!

 

 

また於一は、家定の祖父・家斉の夫人であった広大院と、近い血縁関係にありました。

 

家定が求める夫人像として、まさに於一は適役でした。

 

 

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養女に

鶴丸城

鶴丸城

嘉永6年(1853年)、於一は斉彬の養女となります。

その際、名前を篤子(篤姫)と改めました。

 

『篤姫』の誕生だね!

 

 

同年、篤姫は今和泉家から鶴丸城に入ります。

 

そして約2ヶ月半かけて、入輿の支度を整えました。

 

 

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今和泉島津家本邸跡のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市大竜町9-23
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で10分
まち巡りバス
南洲公園入口から下車すぐ
カゴシマシティビュー
今和泉島津家本邸跡から下車すぐ

 

 

今和泉島津家本邸跡の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

今和泉島津家本邸跡の総評

 

石垣しか残っていないので、何も知らないまま訪れると、5分で離脱するスポットです。

上記のような事前知識を持っておくと、感慨に浸れますよ。

 

歴史スポットの事前勉強は、多少なりとも必要だよね。

 

 

ちなみに敷地内は、個人宅となっています。

 

決して無断で立ち入らないで下さい。

 

 

この記事の参考文献はこちら

 

 

 

 

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