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赤倉病院の跡

投稿日:2018年7月15日 更新日:

赤倉病院の跡

赤倉病院の跡

赤倉病院って、なーに?

 

明治初期、小川町に医学校と病院がありました。

ここで、イギリス人医師、ウィリアム・ウィリスが、校長と院長を務めました。

 

 

赤倉病院の跡は、鹿児島市小川町にあります。

 

この記事では、赤倉病院の歴史を簡単に紹介します。

 

 

赤倉病院の歴史

設立

南洲墓地

南洲墓地

明治元年(1868年)、現在の南洲墓地と南洲神社がある場所に、鹿児島医学校が設立されました。

また、学校隣には、病院も併設されました。

 

ふむふむ。

 

 

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ウィリアム・ウィリス招聘

翌年の明治2年(1879年)、薩摩藩の推挙により、ウィリスが、校長と院長に就任しました。

ウィリスは戊辰戦争で、多くの薩摩藩士を治療。

麻酔を使用した外科手術で、多大な名声を得ていました。

 

へーっ!

 

 

西郷隆盛の弟、西郷従道も、ウィリスの手術で一命を取り留めました。

 

また、ウィリスの招聘には、隆盛も関わっていました。

 

隆盛は、恩義だけでなく、ウィリスの医術を買って推薦しました。

 

 

移転

赤倉病院の跡

赤倉病院の跡

その後、医学校と病院は、石碑のある小川町に移りました。

赤レンガ造りの洋館で、窓が小さく倉庫に見えたので、〈赤倉病院〉と呼ばれました。

 

名前は、外見が由来だったんだね~。

 

 

「ウィリス、高木に西洋医学を説く」

「ウィリス、高木に西洋医学を説く」

ウィリスは、診療のかたわら、西洋医の養成に努めました。

医学生だった高木兼寛は、のちに慈恵医科大学を創設。

ビタミンの父とも呼ばれました。

余談ですが、2人の像が、隣町の山下町に建っています。

 

へーっ!

 

 

閉鎖

しかし、明治10年(1877年)、西南戦争が勃発しました。

隆盛は、鹿児島を出発する数日前、ウィリス邸を訪問。

2人は、これが今生の別れとなりました。

同年、ウィリスは鹿児島を去り、赤倉病院も閉鎖されました。

 

鹿児島は西南戦争で、沢山の人材や物を失ったんだね......。

 

 

赤倉病院の跡の基本情報

営業時間 自由
場所 鹿児島市小川町13-13
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で10分
まち巡りバス
かごしま水族館前から徒歩5分
カゴシマシティビュー
かごしま水族館前から徒歩5分

 

 

なお、赤倉病院の跡へのアクセスは、ナビタイムを使うと、スムーズです。

 

 

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赤倉病院の跡の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

 

赤倉病院の跡の総評

鹿児島で8年間も診療してくれたウィリスは、当時の人びとにとって、神様仏様だったかもね。

 

明治3年(1870年)の記録によると、70日間に3,206人の患者を診療したとあります。

1日平均46人の計算です。

多忙を極めたのは、頼りにされていた裏返しとも言えます。

 

 

また、周辺には、以下の観光スポットがあります。

 

 

こちらにも、ぜひどうぞ。

 

 

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