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お由羅の墓

お由羅の墓

お由羅の墓

 

お由羅って、どんな人物だったのかニャ?

 

27代・島津斉興の側室で、島津久光の母親でもありました。

 

 

お由羅の墓は、鹿児島市池之上町の福昌寺跡にあります。

 

この記事では、お由羅の人生を簡単に紹介します。

 

 

お由羅の人生

斉興の側室に

 

いきなりですが、お由羅の誕生日や素性は、よく分かっていません。

 

ニャンと!

 

 

江戸の船宿の娘、または大工の娘とも言われています。

 

江戸薩摩藩邸で奉公していた頃、斉興に見初められて側室に。

 

のちに斉興の正室・賢章院が亡くなると、お由羅は夫人扱いとなりました。

 

 

島津久光を生む

 

文化14年(1817年)、お由羅は鶴丸城で久光を生みます。

久光は聡明で、斉興は次期藩主にと考えていました。

しかし久光には、腹違いの兄・島津斉彬がいました。

 

波乱の予感ニャ~。

 

 

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お由羅騒動

お由羅屋敷

お由羅屋敷

 

やがて斉彬擁立派と、久光擁立派が対立。

ついに斉彬派は、お由羅の暗殺を企てます。

しかし露見し、多くの斉彬派が切腹・流島となりました。

 

お由羅は、この件に関わっていたのかニャ?

 

 

お由羅をはじめ、斉興・斉彬・久光は、直接関わっていませんでした。

 

あくまでも、互いの擁立派同士の争いだったのです。

 

久光派は呪詛を念じ、斉彬派は報復として、お由羅屋敷の床下に調伏人形を埋めました。

 

 

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死去

お由羅の墓

お由羅の墓

 

やがて斉彬が藩主に就任するも、安政5年(1858年)に急死。

お由羅の孫・島津忠義が藩主となり、息子の久光は後見人の国父となりました。

 

お由羅は、どういう思いだったのかニャー。

 

 

斉興の死から7年後の慶応2年(1866年)、お由羅はこの世を去ります。

 

側室ながら、墓碑は斉興の隣に建てられました。

 

 

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お由羅の墓のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市池之上町24
料金 無料
駐車場 駐車スペースあり
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で15分
まち巡りバス
南洲公園入口から徒歩10分
カゴシマシティビュー
今和泉島津家本邸跡前から徒歩10分

 

 

お由羅の墓の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

お由羅の墓の総評

 

お由羅=悪女のイメージがありますが、あくまでもドラマや小説の影響。

繰り返しますが、お由羅騒動に本人は関わっていません。

 

お家騒動に名前が付いて、損してるんだニャー。

 

 

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