鹿児島市北部

琉球館跡

投稿日:2018年7月18日 更新日:

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琉球館跡

琉球館跡

『琉球』の文字があるのは、今の沖縄と関係ある施設だったから?

 

はい。

江戸時代の琉球国は、薩摩藩の支配下にありました。

 

 

琉球館跡は、鹿児島市小川町の長田中学校にあります。

 

この記事では、琉球館跡の概要や歴史について紹介します。

 

 

琉球館跡の概要

出入口

出入口

出入口

琉球館跡は、長田中学校の中にあります。

まずは、校門から入ります。

 

え?

勝手に入っちゃって、いいの?

 

 

中学校は、関係者以外立ち入り禁止です。

 

当日または事前に、見学の許可をとりましょう。

 

また、平日は授業が行われます。

 

土日祝日に都合のつかない場合は、学校側と交渉してください。

 

 

通路

通路

通路

校庭まで歩くと、野球用のフェンスが見えます。

あの裏に、琉球館跡の石碑があります。

 

朝早く来たから、誰もいないね~。

 

 

土日祝日は、サッカーや野球の試合、または練習が行われます。

 

特に、野球ボールやバットの素振りに、お気をつけください。

 

 

石碑

石碑

石碑

こちらが、琉球館跡の石碑です。

 

古い!

 

 

石碑は、大正12年(1923年)に建てられました。

 

なお、裏の一般道から眺める事も出来ます。

 

 

琉球館跡の歴史

琉球侵攻

今さらだけど、琉球館って、どういう施設だったの?

 

それを語るには、薩摩藩の琉球侵攻から説明する必要があります。

 

 

慶長14年(1609年)、18代島津家久が琉球侵攻を行い、支配下に置きました。

 

慶長18年(1613年)以降、正月の年頭に、琉球から使者を派遣させるようにします。

 

それらの使者と従者が滞在したのが琉球仮屋で、天明3年(1783年)以降は、琉球館と呼ばれました。

 

 

琉球口貿易

大久保利通生い立ちの地

大久保利通生い立ちの地

そして薩摩は幕府公認のもと、琉球口貿易を開始し、多くの利益を得るようになります。

 

この時代の貿易って、儲かりそう~。

 

 

琉球館は、琉球から運んできた産物の倉庫を兼ねており、貿易の取引場でもありました。

 

そのため、薩摩・琉球の両役人が執務していました。

 

あの大久保利通の父・次右衛門も、琉球館附役として勤めていました。

 

 

 

 

調所広郷による貿易強化

そして、琉球口貿易の裏で、違法な密貿易も行っていました。

 

そつがないな~。

 

 

文政11年(1828年)、調所広郷が財政改革主任になると、琉球口貿易は強化され、藩の借金が減り、収入が増加しました。

 

やがて、50万両を蓄えるほどになり、

 

  1. 島津斉彬
  2. 島津久光
  3. 島津忠義

 

による集成館事業や、幕末における薩摩の活動資金となりました。

 

 

 

 

琉球館跡の基本情報

立入時間 不規則
場所 鹿児島市小川町3-10
料金 無料
駐車場 あり
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で15分
まち巡りバス 薩摩義士碑前から徒歩5分
カゴシマシティビュー 薩摩義士碑前から徒歩5分
電話 長田中学校 099-226-3868

 

 

琉球館跡までスムーズに行けるナビアプリ

 

 

琉球館跡の地図

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琉球館跡の総評

地元でも知っている人は少ない、隠れスポットです。

 

マニアックだけど、幕末の薩摩を語るうえで欠かせない施設だってことは、よく分かった。

 

 

また、周辺には

 

 

などの観光スポットもあります。

 

こちらにも、ぜひどうぞ。

 

 

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