江戸時代の琉球国は、薩摩藩の支配下にありました。
琉球館跡は、鹿児島市小川町の長田中学校内にあります。
この記事では、琉球館跡の概要や、歴史を紹介します。
琉球館跡の概要
長田中学校校門
まずは、校門から入りましょう。
勝手に入っちゃって、いいの?
中学校は、関係者以外立ち入り禁止です。
事前に見学の許可をとりましょう。
また、平日は授業が行われます。
土日祝日に都合のつかない場合は、学校側と交渉して下さい。
長田中学校校庭
あの裏に、琉球館跡の石碑があります。
土日祝日は、サッカーや野球の試合、または練習が行われます。
ボールやバットに、充分お気をつけ下さい。
石碑
石碑は、大正12年(1923年)に建てられました。
ちなみに、裏の一般道から眺めることも出来ます。
琉球館の歴史
琉球侵攻
慶長14年(1609年)、18代・島津家久(忠恒)が琉球侵攻を行い、支配下に置きました。
そして慶長18年(1613年)以降、正月年頭に、琉球王国から使節を派遣させるようにします。
その使者と従者が滞在したのが琉球仮屋で、天明3年(1783年)以降に琉球館と呼ばれ始めました。
琉球口貿易
琉球館は、琉球から運んできた産物の倉庫を兼ねており、貿易の取引場でもありました。
そのため、薩摩・琉球の両役人が執務していました。
あの大久保利通の父・次右衛門も、琉球館附役として勤めていました。
調所広郷による貿易強化
文政11年(1828年)、調所広郷が財政改革主任になると、琉球口貿易は強化され、藩の借金が減って収入が増加しました。
やがて50万両を蓄えるほどになり、のちの集成館事業や、幕末における薩摩の活動資金となりました。
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琉球館跡のアクセス・駐車場・料金
立入時間 | 不規則 |
場所 | 鹿児島市小川町3-10 |
料金 | 無料 |
駐車場 | あり |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で15分 | |
まち巡りバス 薩摩義士碑前から徒歩5分 |
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カゴシマシティビュー 薩摩義士碑前から徒歩5分 |
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電話 | 長田中学校 099-226-3868 |
琉球館跡の地図
琉球館跡の総評