伊牟田尚平誕生地は、鹿児島市喜入町にあります。
この記事では、伊牟田の後半生を簡単に紹介します。
伊牟田尚平の後半生
ヒュースケン暗殺
実行者は、同じ薩摩藩士の益満休之助。
伊牟田は、暗殺計画の首謀者でした。
のちに伊牟田は、江戸藩邸を脱走。
脱藩浪士となり、即時攘夷派の仲間と交流を深めました。
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恐喝・流島
これに乗じようと、伊牟田は同じ即時攘夷派の有馬新七らと、反幕の挙兵を計画しました。
しかし、久光の大叔父であった筑前藩主・黒田長溥が、久光の国事周旋を思い留まらせるため、参勤交代途中の伏見で会見するとの情報を得ました。
仮に久光が国事周旋を止めたら、挙兵計画も水の泡。
そこで伊牟田は、大胆な行動に出ます。
そして、
「仮に久光と面会すれば、井伊直弼>のように過激な者に殺されるかもしれないので、ご注意を」
と、脅しにも似た口上を述べました。
驚いた長溥は病気と称し、参勤を中止。
面会の妨害は、一応成功しました。
しかし、この1件が久光の耳に入り、伊牟田は捕縛されます。
そしてトカラ列島の悪石島や、種子島に流されました。
江戸撹乱
そして慶応3年(1868年)、伊牟田と益満に、江戸撹乱の藩命が下されました。
薩摩と幕府の間で衝突を起こし、武力倒幕の名目を得るためです。
伊牟田と益満は、約500名の浪人を集めます。
そして、江戸の治安を預かる出羽庄内藩の屯所に押し掛けさせ、発砲。
伊牟田は、江戸城二ノ丸に忍び込んで放火しました。
強盗・処刑
戊辰戦争が始まります。
官軍側は、連戦連勝。
しかし北越戦線では、苦戦が続いていました。
薩摩藩の幹部・吉井友実は、
「今度、参謀として越後出張が決まった。
同行してくれたら、新政府への登用も考えよう」
と、伊牟田を誘います。
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これに応じて、伊牟田は仲間を勧誘。
しかし脱藩浪士達に、先立つものはありませんでした。
そのため伊牟田と仲間達は、近江の豪商を襲撃。
約4千両を盗むも御用となり、打首獄門に処されました。
伊牟田尚平誕生地のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市喜入町 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で1時間5分 |
鹿児島中央駅から車で40分 | |
旧市バス停から徒歩3分 |
伊牟田尚平誕生地の地図
伊牟田尚平誕生地の総評
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