煙硝倉跡って、なーに?
火薬の原料の1つ、硝石が作られた跡地です。
煙硝倉跡は、鹿児島市小松原2丁目にあります。
この記事では、煙硝倉の歴史を紹介します。
煙硝倉の歴史
建設
安政4年(1857年)、薩摩藩主・島津斉彬は磯の仙巌園に反射炉を建設し、大型大砲の製造を始めました。
ふむふむ。
当時の日本には海外の脅威が迫っており、大砲と火薬の大量生産が喫緊の課題でした。
そのため、火薬の原料である硝石の生産所(煙硝倉)が、小松原に建設されました。
移転
文久3年(1863年)、煙硝倉は現在の石碑が建つ、同じ小松原の永田川沿いに移転しました。
同年に薩英戦争があったため、火薬の増産に対応するためと考えられています。
なるほどね~。
焼失
明治4年(1871年)、煙硝倉は廃藩置県で政府所管となり、のちに陸軍省所管となりました。
維新後も必要とされたんだね。
しかし明治10年(1877年)、西南戦争が勃発。
西郷軍への補給を絶つために、政府軍が焼き払います。
火の勢いは凄まじく、約500m離れた民家にまで延焼しました。
煙硝倉跡のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市小松原2丁目38-12 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で50分 |
鹿児島中央駅から車で20分 | |
谷山駅から徒歩10分 | |
谷山電停バス停から徒歩5分 |
煙硝倉跡の地図
煙硝倉跡の総評
道が狭く、交通量が多いです。
ご注意下さい。
気を付けないとね~。
チェック
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