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西郷家の墓

投稿日:2018年2月17日 更新日:

読了予測:9分

西郷家の墓

西郷家の墓

今日は、西郷家の墓を訪れてみましょう。

 

あの西郷隆盛の!?

 

西郷家の墓は、鹿児島市常盤2丁目にあります。

 

この記事では、墓の概要を紹介します。

 

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西郷家の墓の概要

出入口

出入口

出入口

西郷家の墓の出入口は、こちらです。

 

古びた様子だけど、いつからあるの?

 

西郷家の墓は、もともと南林寺墓地にありました。

 

大正11年(1922年)8月、隆盛の長男・菊次郎の住居近くの常磐町に移転され、現在に至ります。

 

 

西郷龍右衛門の墓

西郷龍右衛門の墓

西郷龍右衛門の墓

まず最初に、西郷龍右衛門の墓を紹介します。

  • 西郷隆盛
  • 西郷従道
  • 大山巌

の孫3人は、明治維新や新政府で活躍しました。

 

あの世で鼻が高そ~!

 

西郷龍右衛門の文字は、墓前面に刻まれていません。

 

法号の『西壽遊山居士』が目印です。

 

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西郷常の墓

西郷常の墓

西郷常の墓

こちらは隆盛の祖母、常の墓です。

西郷家の祖先は、南朝の忠臣・菊池武光と言われています。

そのため常は、子供時代の隆盛に、南朝を擁護する歴史書・太平記を読み聞かせていました。

 

だから隆盛は奄美に流された時、『菊池源吾』と名乗ったのか~。

 

文久2年(1862年)5月29日、上之町の自宅でが死去します。

 

しかしこの時、島津久光の命令に背いた罪で、隆盛は指宿山川沖の船に軟禁されており、葬儀に出席出来ませんでした。

 

『壽操貞延大姉』の法号が、目印です。

 

 

西郷吉兵衛の墓

西郷吉兵衛の墓

西郷吉兵衛の墓

こちらは、隆盛の父・吉兵衛の墓。

算術が得意だったため、日置島津家と、その分家・赤山家の会計係を務めました。

その縁もあり、隆盛は幼い頃から、赤山靭負や桂久武と仲良しでした。

 

なるほど~。

 

西郷吉兵衛を名乗った祖先が複数人いるので、同名の墓も幾つかあります。

 

『自覚院』と上部に彫られた墓が、隆盛の父・吉兵衛のものです。

 

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西郷満佐の墓

西郷満佐の墓

西郷満佐の墓

西郷吉兵衛の妻・満佐は、長男の隆盛を初め、4男3女の7人を生みました。

 

頑張りすぎ!(笑)

 

家計は貧しく子沢山だったため、満佐は針仕事で家計を助けました。

 

法号は、『圓眞霜鏡大姉』です。

 

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西郷吉二郎の墓

西郷吉二郎の墓

西郷吉二郎の墓

吉二郎は隆盛の弟で、吉兵衛・満佐夫妻の次男として生まれました。

 

隆盛に吉二郎という弟がいた事を、初めて知りました!

 

慶応4年(1868年)8月14日、戊辰戦争における北越戦線で、西郷吉二郎は戦死します。

 

遺骨は新潟県上越市の金谷山公園に、遺髪は西郷家の墓に納められました。

 

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参考HP

 

西郷マスの墓

西郷マスの墓

西郷マスの墓

少し文字が読みにくいですが、吉二郎の墓の隣に、先妻・マスの墓があります。

 

先妻の墓がここにあるという事は、吉二郎はマスと死別しちゃったの?

 

慶応元年(1865年)、上之園の自宅でマスは若くして病死しました。

 

この時、

 

  1. 長女・みつ
  2. 長男・隆準

 

の2人の子供は、それぞれ2才と1才でした。

 

西郷園子の墓

西郷園子の墓

西郷園子の墓

西郷マスの墓の隣に、吉二郎の後妻・園子の墓があります。

慶応3年(1867年)に結婚しました。

 

でも吉二郎は、慶応4年(1868年)に戦死したんだよね......。

 

結婚生活は、約1年半。

 

吉二郎は出征したので、同居期間はさらに短い約9ヶ月でした。

 

しかし園子は、吉二郎とマスが遺した2人の子供を育て上げました。

 

西郷松子と幸吉の墓

西郷松子と幸吉の墓

西郷松子と幸吉の墓

松子は、隆盛の末弟・小兵衛と17才の頃に結婚。

長男の幸吉をもうけました。

 

17才で結婚か~!

 

しかし、明治10年(1877年)の西南戦争で、小兵衛は戦死。

 

居住していた、武の西郷屋敷も焼失しました。

 

戦後、隆盛の弟で小兵衛の兄の従道が、幸吉名義で屋敷を再建。

 

松子は、再び武に住みました。

 

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西郷菊次郎と隆治の墓

西郷菊次郎と西郷隆治の墓

西郷菊次郎と隆治の墓

墓碑

墓碑

そして、こちらが西郷菊次郎の墓。

隆盛と2番目の妻・愛加那の間に生まれた長男で、京都市長などを勤めました。

 

『吉田茂謹書』って書いてある!

 

この墓には菊次郎のほか、鹿児島市の西郷隆盛像のモデルとなった、菊次郎の次男・隆治も眠っています。

 

 

琉仲祐の墓

琉仲祐の墓

琉仲祐の墓

最後に紹介するのが、琉仲祐の墓。

隆盛が徳之島に流された際、父・仲為と親身に世話をしました。

 

その仲祐の墓が、なぜここに?

 

元治元年(1864年)、隆盛は赦免された際、仲祐も鹿児島に連れてきました。

 

しかし慶応2年(1866年)、京で病気になり、急死します。

 

隆盛は、京の林光院に墓を建て、徳之島に遺髪を送り、鹿児島に供養墓を建てました。

 

『玄道智徳居士』の法号が、目印です。

 

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参考HP

 

西郷家の墓の基本情報

【時】 自由
【所】 鹿児島市常盤2丁目2-14
【料】 無料
【駐】 なし
【交】 鹿児島中央駅から車で10分
鹿児島中央駅から徒歩20分
花岡通バス停から徒歩5分

 

西郷家の墓の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

西郷家の墓の総評

どのお墓が誰のものか、そして隆盛との関係性など、詳細な案内板が残念ながらありません。

そのため、予備知識無しで行くと、現地で100%戸惑います。

 

法号のみの墓は、特に分かりにくいよね~。

 

でも、この記事を読めば大丈夫!

 

心配せずにお越しください。

 

また、周辺には

 

 

などの観光スポットがあります。

 

こちらにも、是非どうぞ。

 

 


 

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