市来宗介って、だーれ?
西郷隆盛の妹、琴の長男です。
市来宗介の墓は、鹿児島市上竜尾町の南洲墓地にあります。
この記事では、宗介の後半生を簡単に紹介します。
市来宗介の後半生
アメリカ留学
明治5年(1872年)、24才の宗介はアメリカに留学します。
西郷の長男・菊次郎(12才)や、村田新八の長男・岩熊(15才)も一緒でした。
将来を嘱望されてたんだね。
関連記事
指導者
明治7年(1874年)、宗介は菊次郎と帰国します。
しかし、前年に西郷が政変に敗れ、鹿児島に下野したと知り、すぐに2人は帰郷しました。
当時の連絡手段では、すぐに知り得なかったんだね。
鹿児島に戻った宗介は、西郷が創設した私学校や、吉野開墾社の指導者を務めます。
しかし、次第に鹿児島は反政府の空気が充満するようになり、反乱がいつ起きてもおかしくない状況に陥りました。
西南戦争
やがて明治10年(1877年)、私学校生徒が暴発し、西南戦争が始まります。
宗介は弟の宗五郎と、西郷軍の一員として参戦しました。
それで、どうなったの?
宗五郎は、熊本山麓で戦死。
宗介は戦争最終日に捕縛され、城山裏の夏陰城で斬首されました。
市来宗介の墓のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市上竜尾町2-1 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 無料 |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
まち巡りバス 南洲公園入口から徒歩5分 |
|
カゴシマシティビュー 西郷南洲顕彰館前から下車すぐ |
市来宗介の墓の地図
市来宗介の墓の総評
宗介の墓は、西郷の墓の右斜め後ろにあります。
墓名を揮毫したのは、西郷家に居候していた書家、川口雪篷でした。
達筆!
チェック
市来宗介の墓の関連記事