祇園之洲砲台跡には、その名の通り、砲台があったの?
はい。
幕末の名君、島津斉彬が築造したんですよ。
祇園之洲砲台跡は、鹿児島市清水町の祇園之洲公園内にあります。
この記事では、祇園之洲砲台跡の歴史を紹介します。
祇園之洲砲台跡の歴史
埋め立て
薩摩藩家老・調所広郷は、財政改革に成功後、稲荷川に石橋を架けることにしました。
併せて洪水対策の川ざらえが行われ、その土砂で埋立地を造成しました。
それが、この祇園之洲です。
なるほど。
この場所は、人工的に造られたんだね。
砲台設置
当初の埋立地は、兵士の屯集所として使われました。
やがて海外の脅威が高まり、嘉永6年(1853年)、斉彬が砲台を設置しました。
斉彬は、海外に通じていた稀有な人物だったんだよね~。
薩英戦争
砲台を設置して10年後の文久3年(1863年)、薩英戦争が勃発しました。
祇園之洲砲台は、アームストロング砲で壊滅します。
そのため、イギリス艦隊のレースホース号が砲台前で座礁するも、救出作業を見守るほかありませんでした。
大チャンスを目の前に、何と残念。。。
海外の脅威を目の当たりにした薩摩藩は、戦後ただちに砲台を修復。
さらに、斉彬の死後に縮小していた集成館事業を再始動しました。
西南戦争
明治10年(1877年)、西南戦争が勃発します。
勅使・柳原前光が鹿児島に来航し、島津久光・忠義親子に、西郷軍鎮撫を命じました。
ふむふむ。
親子は局外中立を盾に、鎮撫を拒否。
その前後、政府軍艦・春日の海軍兵が、祇園之洲の大砲を壊して火門に釘を打ち込み、西郷軍に使わせないようにしました。
祇園之洲砲台跡のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市清水町26 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 石橋記念公園駐車場 無料 |
アクセス | 鹿児島中央駅から車で15分 |
まち巡りバス 石橋記念公園前から下車すぐ |
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カゴシマシティビュー 石橋記念公園前から下車すぐ |
祇園之洲砲台跡の地図
祇園之洲砲台跡の総評
現在は多くの木々が植えられ、市民の憩いの場になっています。
平和な時間が流れてるんだね~。
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