辺見十郎太の墓は、鹿児島市上竜尾町の南洲墓地にあります。
この記事では、辺見と西南戦争の関わりを紹介します。
辺見十郎太と西南戦争
西郷への一報・軍編成
草牟田の陸軍火薬庫から、武器・弾薬を略奪しました。
暴発を聞いた辺見は、小根占村(現在の南大隅町)に出掛けていた西郷に、襲撃を知らせます。
のちに、政府密偵による西郷暗殺疑惑も浮上したため、挙兵上京が決定。
辺見は部隊を編成し、みずから三番大隊の一番小隊長に就きました。
会談反対
こうして西郷と川村の会談が、艦上で行われることになりました。
しかし、会談に赴こうとする西郷を、反対派の桐野利秋、篠原国幹、そして辺見が止めたため、中止となりました。
西郷が、そのまま東京に連れて行かれるのを、危惧したためでした。
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兵員追加募集
しかし、西郷軍は敗戦を重ね、兵力も削られていきました。
そこで辺見は、別府晋介らと鹿児島に戻り、追加の兵員を募集します。
ただし、入牢中の者を動員したり、脅迫して出兵を迫ったりと、強引な手法も採られました。
私学校の官軍撃退
そして、鹿児島に戻ることを決めました。
鹿児島に戻ってきた西郷軍は、私学校に駐屯していた政府軍200名を、辺見を先頭に、わずか14名で撃退。
そして後方の城山に布陣し、最後の決戦に挑みました。
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辺見の死
辺見は西郷の死を見届けたあと、松の木に拠って切腹しました。
一説には、その表情の凄まじさから、しばらく政府軍は近づけなかったと言われています。
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辺見十郎太の墓のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市上竜尾町2-1 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 無料 |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
まち巡りバス 南洲公園入口から徒歩5分 |
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カゴシマシティビュー 西郷南洲顕彰館前から下車すぐ |
辺見十郎太の墓の地図
辺見十郎太の墓の総評
そのため、西郷に対する恩義は、他者より強く持っていたかもしれません。
チェック
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