西郷さんのお墓って、とても立派だよね。
人気も抜群です。
沢山の方が訪れるスポットですよ。
西郷隆盛の墓は、鹿児島市上竜尾町の南洲墓地にあります。
この記事では、南洲墓地が整備された経緯を紹介します。
南洲墓地が整備された経緯
西郷の死
明治10年(1877年)9月24日、西南戦争を起こした西郷は別府晋介によって介錯され、49才の生涯を終えました。
別府に介錯されたのは、有名だよね。
介錯後、別府は西郷の従僕・吉左衛門に命じ、折田正助邸宅前の溝川に首を埋めさせます。
しかし、大雨によって一部が露出。
官軍兵士の千田登文に発見されました。
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検死
西郷の首や胴体は、旧浄光明寺(現在の南洲墓地)にいた参軍、山県有朋と川村純義の元へ届けられました。
2人は、西郷と顔馴染みでした。
ということは、2人が西郷の死を確認したんだね。
一説には、検死は南洲墓地の鳥居付近で行われたと言われています。
西郷は象皮病で陰嚢が膨らんでおり、少年時代の刀傷も腕に残っていたため、首のない胴体が本人のものと確認されました。
仮埋葬
検死後、当時の鹿児島県令だった岩村通俊は、山県と川村に許可を取り、旧浄光明寺の境内に安置されていた西郷軍160名の遺体を、木標を建てて丁重に埋葬しました。
当初は木標だったんだね。
西郷軍は賊軍扱いの身でしたが、岩村は県民感情を重要視。
後年、英断を下した岩村に対する感謝の印として、南洲墓地に記念碑が建てられました。
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南洲墓地整備
明治14年(1881年)になると、西郷軍の生き残りである河野主一郎が釈放されます。
ふむふむ。
河野は三州社を設立し、社長に就任します。
そして、九州各地で戦死した西郷軍約1800名の遺骨を集め、南洲墓地を整備。
明治16年(1883)に、現在の形となりました。
西郷隆盛の墓のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市上竜尾町2-1 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 無料 |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
まち巡りバス 南洲公園入口から徒歩5分 |
|
カゴシマシティビュー 西郷南洲顕彰館前から下車すぐ |
西郷隆盛の墓の地図
西郷隆盛の墓の総評
ちなみに墓碑銘は、西郷家の居候、川口雪篷が書きました。
独特の書風だね~。
なお、おすすめの時間帯は早朝です。
静かな環境で、一層すがすがしく参拝できます。
チェック