鹿児島市北部

大山綱良の墓

投稿日:2018年7月18日 更新日:

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大山綱良の墓

大山綱良の墓

大山綱良って、何をした人なの?

 

初代鹿児島県令を務めた人物で、西南戦争では西郷軍に資金を提供しました。

 

 

大山綱良の墓は、鹿児島市上竜尾町の南洲墓地にあります。

 

この記事では、綱良の人生を簡単に紹介します。

 

 

 

 

大山綱良の人生

誕生

文政8年(1825年)、綱良は、樺山善助の次男として誕生しました。

 

なるほど。

当初は、樺山姓だったんだね。

 

 

幼い頃は、家計を助けるため、島津久光の茶坊主として、藩に出仕。

 

嘉永2年(1849年)12月26日、大山四郎助の婿養子となり、姓が変わりました。

 

 

野太刀示現流

薬丸兼義の墓

薬丸兼義の墓

綱良は、茶道だけでなく、剣の道にも通じていました。

野太刀自顕流2代目・薬丸兼義に入門し、高弟に数えられるほどの腕前になりました。

 

ほーっ!

 

 

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寺田屋騒動

寺田屋

寺田屋

その腕前が最も光ったのが、文久2年(1862年)の寺田屋騒動でした。

綱良は、倒幕計画を企てた有馬新七・森山新五左衛門など、9名を鎮撫。

同じ鎮撫使の奈良原繁は負傷しましたが、綱良は無傷でした。

 

ひょえ~!

 

 

 

 

鹿児島県令就任・私学校援助

私学校跡

私学校跡

明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県が行われ、綱良は初代鹿児島県令に就任します。

しかし、明治7年(1874年)、西郷隆盛が私学校を設立すると、反政府的な態度を取るようになります。

 

例えば、どのような?

 

 

徴兵制度を無視し、租税を中央に納めず、政府に不満を抱いていた私学校を、金銭面で支援しました。

 

また、役人全てを旧薩摩藩士族から登用。

 

鹿児島は、さながら独立国家の様相を帯びてきました。

 

 

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西南戦争

鹿児島暴徒出陣図

鹿児島暴徒出陣図

やがて、私学校生徒が暴発し、明治10年(1877年)、西南戦争が始まります。

綱良は、西郷軍に官金を提供。

その他

  • 兵器
  • 弾薬
  • 食料

を援助しました。

 

綱良しも、明治政府に相当不満が溜まっていたのかもね。

 

 

斬首

大山綱良の墓

大山綱良の墓

しかし、同年3月8日、勅使の柳原前光が来鹿。

西郷暗殺を自白した、中原尚雄などを釈放させます。

その後、東京までの随行を綱良に命じました。

 

さすがの綱良も、勅使には逆らえなかったか......。

 

 

途中、神戸で捕縛され、官位剥奪後、東京に護送されました。

 

のちに九州臨時裁判所が設置され、徐族と斬首の判決を受けます。

 

そして同年9月30日、長崎で53才の生涯を閉じました。

 

 

大山綱良の墓の基本情報

営業時間 自由
場所 鹿児島市上竜尾町2-1
料金 無料
駐車場 無料
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で10分
まち巡りバス 南洲公園入口から徒歩5分
カゴシマシティビュー 西郷南洲顕彰館前から下車すぐ

 

 

南洲墓地までスムーズに行けるナビアプリ

 

 

大山綱良の墓の地図

Googleマップの大きな地図で見る

 

 

大山綱良の墓の総評

南洲墓地の中で、西郷と同じくらい立派なお墓です。

 

西郷さんのお墓の、左手前にあるよ。

 

 

また、周辺には

 

 

などの観光スポットもあります。

 

こちらにも、ぜひどうぞ。

 

 

 

 

大山綱良の墓周辺のホテル

 

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