大山綱良の墓は、鹿児島市上竜尾町の南洲墓地にあります。
この記事では、大山の人生を簡単に紹介します。
大山綱良の人生
誕生
幼い頃は家計を助けるため、島津久光の茶坊主として出仕。
嘉永2年(1849年)、大山四郎助の婿養子となり、姓が変わりました。
野太刀示現流
野太刀自顕流2代目・薬丸兼義に入門し、高弟に数えられるほどの腕前となりました。
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寺田屋騒動
大山は義挙計画を企てた有馬新七・森山新五左衛門など、9名を鎮撫。
同じ鎮撫使の奈良原繁は負傷しましたが、大山は無傷でした。
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鹿児島県令就任
しかし明治7年(1874年)、西郷隆盛が私学校を設立すると、反政府的な態度を取るようになりました。
徴兵制度を無視し、租税を中央に納めず、政府に不満を抱いていた私学校を金銭面で支援しました。
また、県庁の役人すべてを旧薩摩藩士族から登用。
鹿児島は、さながら独立国家の様相を帯びました。
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西南戦争
大山は、西郷軍に官金を提供します。
そのほかにも兵器や弾薬、食料を援助しました。
斬首
西郷の暗殺を自白した、中原尚雄などを釈放させます。
そして東京までの随行を、大山に命じました。
その後、航行途中の神戸で捕縛され、官位剥奪後に東京へ護送。
九州臨時裁判所が設置され、徐族と斬首の判決を受けました。
同年9月、長崎で執行。
享年53才でした。
大山綱良の墓のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市上竜尾町2-1 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 無料 |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
まち巡りバス 南洲公園入口から徒歩5分 |
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カゴシマシティビュー 西郷南洲顕彰館前から下車すぐ |
大山綱良の墓の地図
大山綱良の墓の総評
高さもあり。南洲墓地のなかで西郷と同じくらい立派です。
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