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若き薩摩の群像

若き薩摩の群像

若き薩摩の群像

 

若き薩摩の群像の人達って、何をしたの?

 

慶応元年(1865年)、イギリスに渡り、留学生として勉学に励みました。

ちなみに群像の中には、一緒に渡英した経済・外交使節も含まれます。

 

 

若き薩摩の群像は、鹿児島市中央町にあります。

 

この記事では群像の概要を、上から順に紹介します。

 

 

若き薩摩の群像の概要

新納久脩銅像

新納久脩銅像

新納久脩銅像

 

まず紹介するのは、一番上の新納久脩。

留学生派遣事業の総責任者でした。

紡績機械の買い付け契約を行い、薩摩藩のパリ万博参加を決めました。

 

新納は、経済・外交使節だったんだね。

両手を挙げてるから、分かりやすいね。

 

 

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町田久成銅像

町田久成銅像

町田久成銅像

 

新納久脩の裏にいるのが、留学生学頭の町田久成。

明治時代、東京帝室博物館(東京国立博物館)の初代館長に就任しました。

 

へーっ!

 

 

鮫島尚伸銅像

鮫島尚伸銅像

鮫島尚伸銅像

 

ここからは、上から2段目。

ステッキを持って腰に手を当てているのは、鮫島尚伸。

ヨーロッパ各国の外交官や、大使を務めました。

 

自信たっぷりな風貌!

 

 

町田申四郎銅像

町田申四郎(町田実積)銅像

町田申四郎(町田実積)銅像

 

町田申四郎(町田実積)は、町田久成の弟。

帰国後、薩摩藩家老・小松帯刀の養子となりました。

しかし小松家家督は、帯刀と京都妻・お琴との間に生まれた清直が継承。

その後の申四郎は、町田家に戻ったと考えられます。

 

ちょっと不遇だったんだね......。

 

 

吉田清成銅像

吉田清成銅像

吉田清成銅像

 

ステッキを持って拳を握っているのは、吉田清成。

吉田はイギリスだけでなく、アメリカにも留学。

明治時代、駐米全権公使を務めました。

 

渡米した経験を買われたんだね。

 

 

中村博愛銅像

中村博愛銅像

中村博愛銅像

 

左手を高々と挙げているのは、中村博愛です。

留学先をイギリスからフランスに変更し、幕府の対フランス政策を調査。

維新後は、ヨーロッパ各国で領事・公使を務めました。

 

重要な役割を担ったんだね。

 

 

寺島宗則銅像

寺島宗則(松木弘安)銅像

寺島宗則(松木弘安)銅像

 

ここからは、上から3段目。

椅子に座ってハットを持っているのは、外交使節の寺島宗則(松木弘安)。

王政復古への協力を、イギリスに要請しました。

明治時代には、外務卿に就任。

不平等条約の改正に尽力しました。

 

外交を担える人材は、いつの時代も貴重だよね~。

 

 

 

 

五代友厚銅像

五代友厚銅像

五代友厚銅像

 

同じく椅子に座り、右手で指差しているのは、五代友厚です。

新納久脩と紡績機械の買い付けと、薩摩藩のパリ万博参加を決めました。

明治初期には、実業界に転身。

大阪商法会議所(大阪商工会議所)を設立しました。

 

朝ドラで、一気に知名度が上がったよね!

 

 

なお、五代友厚の銅像は、鹿児島市泉町にもあります。

 

製作者は別ですが、そちらもオススメです。

 

 

 

 

松村淳蔵銅像

松村淳蔵(市来和彦)銅像

松村淳蔵(市来和彦)銅像

 

コンパスを片手に持っているのは、松村淳蔵(市来和彦)です。

イギリスから渡米し、海軍兵学校に入学。

帰国後は日本海軍に入り、海軍兵学校長や海軍中佐を務めました。

 

航海に必要なコンパスを持っているのは、そのためなんだね。

 

 

東郷愛之進銅像

東郷愛之進銅像

東郷愛之進銅像

 

ここからは、上から4段目です。

両腕を組んでいるのは、東郷愛之進。

正確な出生地も、年齢も不明です。

帰国後は戊辰戦争に出征し、戦死。

南林寺由緒墓に、お墓があります。

 

せっかく留学したのに、惜しまれるね......。

 

 

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名越時成銅像

名越時成銅像

名越時成銅像

 

東郷愛之進の横で本を広げているのは、名越時成。

ロンドン大学で勉学に励みました。

帰国後の消息は、不明です。

 

留学しても、のちに活躍したとは限らないんだね。

 

 

長澤鼎銅像

長澤鼎(磯永彦輔)銅像

長澤鼎(磯永彦輔)銅像

 

椅子に座ってブドウを眺めているのは、長澤鼎(磯永彦輔)です。

渡英時は、13才。

その後はアメリカに渡り、ワイン事業で成功しました。

 

13才で留学って、凄いね!

 

 

朝倉盛明銅像

朝倉盛明(田中盛明)銅像

朝倉盛明(田中盛明)銅像

 

長澤鼎の隣にいるのが、朝倉盛明(田中盛明)です。

中村博愛と同じく、留学先をイギリスからフランスに変更し、幕府の対フランス政策を調査。

帰国後、兵庫県生野銀山の再開発に取り組みました。

 

鉱山に携わったんだね。

 

 

畠山義成銅像

畠山義成銅像

畠山義成銅像

 

左手に巻紙を持っているのは、畠山義成です。

攘夷思想が強く、当初は留学命令を拒否。

のちにキリスト教に改宗し、東京開成学校(東京大学)の初代校長に就任しました。

 

攘夷思想の持ち主が、キリスト教に改宗したんだ!

 

 

森有礼銅像

森有礼銅像

森有礼銅像

 

畠山義成の隣で本を広げているのは、森有礼です。

第一次伊藤内閣で、初代文部大臣に就任。

しかし明治22年(1889年)、大日本帝国憲法発布の日に刺殺されました。

 

優秀な人材だったろうにね......。

 

 

町田清蔵銅像

町田清蔵銅像

町田清蔵銅像

 

コートの襟を左手で掴んでいるのは、町田清蔵。

町田久成、町田申四郎の末弟です。

留学先をイギリスからフランスに転じました。

帰国後は財部家の養子となり、当時の様子を語った〈財部実行回顧談〉を残しました。

 

当時、長男以外は家督を継げなかったから、養子に入ったんだね。

 

 

村橋久成銅像

村橋久成(村橋直衛)銅像

村橋久成(村橋直衛)銅像

 

最後に紹介するのは、ロングコートを持った村橋久成(村橋直衛)です。

開拓使麦酒醸造所(サッポロビール)を設立するも、開拓使を辞して雲水に。

以後、消息不明となります。

明治25年(1892年)、神戸の道端で倒れている所を発見され、数日後に亡くなりました。

 

人生って、本当に人それぞれだね......。

 

 

若き薩摩の群像のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市中央町37
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で0分
鹿児島中央駅から徒歩1分
まち巡りバス
鹿児島中央駅から徒歩1分
カゴシマシティビュー
鹿児島中央駅から徒歩1分

 

 

若き薩摩の群像の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

若き薩摩の群像の総評

 

どの銅像か誰なのか、詳しく記した解説板はありません。

この記事をタブレットやスマホで読みながら、確かめて下さい。

 

17体も銅像があるなら、詳細な解説板が欲しいね。

 

 

ちなみに、留学生の高見弥一と通訳の堀孝之は、薩摩藩士でないとの理由で、銅像が建てられませんでした。

 

しかし両名は密航前、御小姓与として薩摩藩に召し抱えられていたことが、後年分かりました。

 

この事実を踏まえ、両名の銅像も設置されるのが望ましいでしょうね。

 

 

この記事の参考文献はこちら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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-三木琴, 中村博愛, 中村晋也, 五代友厚, 吉田清成, 名越時成, 堀孝之, 寺島宗則, 小松帯刀, 小松清直, 新納久脩, 朝倉盛明, 村橋久成, 東郷愛之進, 松村淳蔵, 森有礼, 町田久成, 町田清蔵, 町田申四郎, 畠山義成, 長澤鼎, 高見弥一, 鮫島尚伸