明治時代には、海軍大臣や元帥を務めました。
西郷従道誕生地は、鹿児島市加治屋町にあります。
この記事では、従道の人生を簡単に紹介します。
西郷従道の人生
誕生
生まれた場所は、隆盛と同じです。
少年時代は、かなりのイタズラ者。
人の家の垣を壊す、石を投げるなど手の付けようがなく、16才年上の兄・隆盛の説教も、全く聞きませんでした。
寺田屋騒動
反幕の挙兵を企む有馬新七・森山新五左衛門らを、島津久光に派遣された奈良原繁・大山綱良などが鎮撫。
挙兵計画に加わっていた従道は、その場で投降しました。
若いとはいえ、危なっかしいなあ。
事件後は、同じく投降した大山巌、篠原国幹、永山弥一郎などと、帰国謹慎を命じられました。
上之園の自宅で日々を送っていましたが、薩英戦争を機に、再び人生が動き出しました。
薩英戦争
藩内は総動員体制に入り、寺田屋騒動関係者は、謹慎を解かれました。
従道は、奈良原喜左衛門、有村俊斎、大山綱良らとスイカ商人に扮し、敵艦を奪おうと画策。
計画は失敗に終わりますが、戦争時には弁天波止砲台で奮戦しました。
鳥羽伏見の戦い
しかし、イギリス人医師であるウィリアム・ウィリスの外科手術で、九死に一生を得ます。
従道の命は、まさに首の皮1枚でつながりました。
西南戦争
兄弟は立場上、敵味方に分かれてしまいました。
内務卿・大久保利通の意向もあり、従道は西郷軍と直接戦わず、政府軍の兵站や情報収集を取り仕切ります。
また、甥の西郷菊次郎が、従僕の熊吉に背負われて投降した時、従道は大変喜びました。
関連記事
西郷武屋敷再建
戦後、従道は隆盛の妻・糸に再建を申し出るも、拒否されます。
そこで従道は、西南戦争で戦死した弟・西郷小兵衛の遺児である、幸吉の名義で再建しました。
これにより糸は、小兵衛の未亡人・松子や、居候の川口雪篷と、再び武村に住みました。
死去
明治31年(1898年)、上野の西郷隆盛銅像除幕を見届け、その4年後に東京で亡くなりました。
西郷従道誕生地のアクセス・駐車場・料金
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市加治屋町5 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で5分 | |
鹿児島中央駅から徒歩10分 | |
まち巡りバス 維新ふるさと館前から徒歩1分 |
|
カゴシマシティビュー 維新ふるさと館前から徒歩3分 |
西郷従道誕生地の地図
西郷従道誕生地の総評
しかし、銅像が建てられてもおかしくない偉人と思います。
チェック
西郷従道誕生地の関連記事