永田熊吉って、だーれ?
西郷家の使用人で、生涯に渡って一家を支え続けた人物です。
永田熊吉ゆかりの地は、鹿児島市内に約10ヶ所あります。
この記事では、特に関係の深い5ヶ所を紹介します。
永田熊吉ゆかりの地
西郷隆盛・従道誕生地
いつから熊吉が西郷家の使用人となったのかは、不明です。
しかし、西郷隆盛を幼少時から世話していたことは確かで、時には叱ることもありました。
うんうん、そうでなくっちゃ!
営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市加治屋町5 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で5分 | |
鹿児島中央駅から徒歩10分 | |
まち巡りバス 維新ふるさと館前から徒歩1分 |
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カゴシマシティビュー 維新ふるさと館前から徒歩3分 |
チェック
西郷南洲翁宅地跡
安政2年(1855年)、西郷家は借金返済のため、加治屋町の持ち家を売り、上之園町の借家に移り住みます。
しかし、熊吉は使用人として雇われ続けました。
信頼の証だね~。
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営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市上之園町10-13 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で3分 | |
鹿児島中央駅から徒歩5分 | |
まち巡りバス 維新ふるさと館前から徒歩5分 |
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カゴシマシティビュー 維新ふるさと館前から徒歩3分 |
チェック
西郷武屋敷跡
明治2年(1869年)、西郷一家は、武村の広大な屋敷に引っ越しました。
熊吉も使用人として働き続けましたが、明治4年(1871年)に西郷が政府に出仕すると、熊吉も上京して身の回りを世話しました。
西郷さんは、熊吉抜きでは生きられない人になってたかもね(笑)
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営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市武2丁目28-7 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で3分 | |
鹿児島中央駅から徒歩5分 | |
まち巡りバス 鹿児島中央駅から徒歩10分 |
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カゴシマシティビュー 鹿児島中央駅から徒歩10分 |
チェック
西郷南洲野屋敷跡
明治10年(1877年)に西南戦争が始まると、熊吉も西郷の世話をするために同行。
戦争後半では、足を切断した西郷の長男・菊次郎を背負い、一家が避難していた西別府に帰還しました。
本当に熊吉は、縁の下の力持ちだね。
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営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市西別府町2790 |
料金 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | 鹿児島空港から車で35分 |
鹿児島中央駅から車で15分 | |
鹿実前バス停から徒歩5分 |
チェック
西郷隆盛洞窟
そして、戦争がいよいよ終盤に差し掛かった時、熊吉は、西郷の妻である糸から新しい着物と帯を託され、城山の洞窟まで届けました。
当時の城山は、政府軍に包囲されてたんだよね?
すごいな~。
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営業時間 | 自由 |
場所 | 鹿児島市城山町19 |
料金 | 無料 |
駐車場 | 無料 |
アクセス | 鹿児島空港から車で40分 |
鹿児島中央駅から車で10分 | |
まち巡りバス 西郷洞窟前から下車すぐ |
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カゴシマシティビュー 西郷洞窟前から下車すぐ |
チェック
永田熊吉ゆかりの地の地図
永田熊吉ゆかりの地の総評
戦後も西郷家を支え続け、後に西郷の弟・従道のもとへ上京し、邸宅や庭を維持・管理しました。
まさに、西郷家に仕えた一生だったんだね。
参考HP
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