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西郷南洲翁宅地跡

西郷南洲翁宅地跡

西郷南洲翁宅地跡

 

西郷隆盛は生涯、鹿児島城下で3つの家に住みました。

今回紹介するのは、2つ目の宅地跡です。

 

引越しは、いつの時代も大変だよね~。

 

 

 西郷南洲翁宅地跡は、鹿児島市上之園町の共研公園にあります。

 

この記事では、西郷南洲翁宅地跡の概要や、逸話を紹介します。

 

 

西郷南洲翁宅地跡の概要

出入口

出入口

出入口

 

こちらが共研公園、つまり西郷南洲翁宅地跡の出入口です。

 

『共研公園』の文字が大きいから、通り過ぎることはなさそうだね。

 

 

共研公園の出入口は、ナポリ通りにあります。

 

鹿児島中央駅からお越しの場合、タクシーやバスより徒歩の方が早く着きます。

 

 

石碑

石碑

石碑

 

共研公園出入口近くに、西郷南洲翁宅地跡の石碑が建っています。

 

ここに2番目のお家があったんだね。

 

 

初代の石碑は、昭和9年(1934年)に建てられました。

 

しかし第2次世界大戦で失われたため、戦後に復元されました。

 

 

共研公園

共研公園

共研公園

 

かつて西郷の家が建っていた場所は、広々とした公園になっています。

 

芝生があっていいね~。

 

 

共研公園には、ベンチ・トイレなどが設置されています。

 

小休憩にも、御利用下さい。

 

 

西郷南洲翁宅地跡の逸話

加治屋町から引っ越す

西郷隆盛誕生地

西郷隆盛誕生地

 

もともと西郷は、鹿児島の加治屋町で生まれ育ちました。

 

それが、どうして引越しすることになったの?

 

 

西郷26才の嘉永5年(1852年)、祖父、父、母の3人が相次いで亡くなり、生活が苦しくなります。

 

そのため、安政2年(1855年)に加治屋町の生家を売り、上之園町に引っ越しました。

 

 

 

 

西郷の看護

西郷隆盛蘇生の家

西郷隆盛蘇生の家

 

その後、28代・島津斉彬に見出されるも、安政5年(1858年)に斉彬が急死。

安政の大獄で幕吏に追われた西郷は、勤王の僧・月照と真冬の錦江湾へ入水しました。

 

真冬の海っ......!

絶対に冷たいっ......!

 

 

月照は息絶えましたが、西郷は奇跡的に息を吹き返しました。

 

その後、上之園の自宅で大久保利通や有村俊斎、吉井友実や、次男の吉二郎が看護しました。

 

しかし、自殺をほのめかす言葉を繰り返し呟いたため、家族は刃物をすべて隠しました。

 

 

 

 

祖母・常の死

西郷常の墓

西郷常の墓

 

月照と入水後、西郷は奄美大島に身を隠します。

文久元年(1861年)に帰藩命令を受けますが、国父・島津久光の命令に背くなどし、文久2年(1862年)、山川沖の天佑丸に滞留させられました。

 

よく、即切腹にならなかったね。

 

 

滞留中、祖母の常>が上之園町の自宅で死去します。

 

しかし罪人であったため、葬儀への出席は認められませんでした。

 

 

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岩山糸との結婚

 

徳之島・沖永良部島に流島後、元治元年(1864年)に再び許され、同年の禁門の変で活躍します。

また、同年の第1次長州征伐の回避にも成功し、慶応元年(1865年)に帰藩しました。

 

大活躍だね。

 

 

帰藩後、家老座書役・岩山八郎太の娘である糸との縁談話が持ち上がります。

 

渋る西郷のもとに、仲介役の有川矢九郎が糸をいきなり連れて行き、ようやく承諾させて新婚生活が始まりました。

 

 

川口雪篷の居候

川口雪篷の墓

川口雪篷の墓

 

同じく慶応元年(1865年)、流刑地の沖永良部島で知り合った、漢詩と書の師である川口雪篷が、上之園の西郷家に居候しはじめました。

 

なんで、赤の他人が新婚家庭に居候することに?(笑)

 

 

雪篷と西郷は、先に罪を赦された帰藩者が、後の帰藩者を養う約束をしていました。

 

西郷は約束を守り、雪篷は子供達の先生となりました。

 

 

 

 

坂本龍馬の宿泊

 

西郷と糸が結婚した慶応元年(1865年)、坂本龍馬が上之園の自宅に宿泊しました。

 

あの龍馬が泊まったんだね。

 

 

ある雨の降る夜、寝付けなかった龍馬は、雨漏り屋根の修繕を頼む糸の声を聴きました。

 

西郷は、

 

「日本中が雨漏りをしていて、修理しているところだから、少し待って欲しい」

 

と答え、龍馬は感心したと伝わっています。

 

 

 

 

寅太郎誕生

 

そして慶応2年(1866年)、西郷と糸の間に寅太郎が生まれました。

 

寅太郎って、変わった名前だね。

 

 

慶応2年(1866年)は寅年だったため、寅太郎と名付けられました。

 

のちに生まれた午次郎、酉三の弟2人の名前も、干支にちなんだものでした。

 

 

従道の祝言

 

明治2年(1869年)、西郷の弟・従道が、鹿児島士族・得能良助の娘、清子(すがこ)と結婚。

2人は、上之園の家で祝言を挙げました。

 

めでたい!

 

 

しかし、当時の西郷家はまだ貧乏で、蚊帳食器も人数分が揃っていませんでした。

 

新婚初夜、2人は一晩中扇子で蚊を追い払い、後日この話を聞いた得能家から、家族10人分の蚊帳と食器が届けられました。

 

 

 

 

武屋敷へ引っ越す

西郷武屋敷跡

西郷武屋敷跡

 

明治維新を成し遂げた西郷は、明治2年(1869年)、武の屋敷に引っ越します。

 

まさか、雨漏りするような屋敷じゃないよね?(笑)

 

 

武屋敷は、もとは藩中の寄合家・二階堂家の中屋敷でした。

 

高縁の御殿造りで部屋数も多く、広さは約1500坪もありました。

 

 

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西郷南洲翁宅地跡のアクセス・駐車場・料金

営業時間 自由
場所 鹿児島市上之園町10-13
料金 無料
駐車場 なし
アクセス 鹿児島空港から車で40分
鹿児島中央駅から車で3分
鹿児島中央駅から徒歩5分
まち巡りバス
維新ふるさと館前から徒歩5分
カゴシマシティビュー
維新ふるさと館前から徒歩3分

 

 

西郷南洲翁宅地跡の地図

→ Googleマップの大きな地図で見る

 

 

西郷南洲翁宅地跡の総評

 

逸話が多い割には、石碑だけのアッサリしたスポットだね。

 

生誕地に比べ、かなり地味です。

 

 

西郷隆盛誕生地から、徒歩3分で着きます。

 

鹿児島中央駅から観光巡りを始める場合、西郷隆盛誕生地よりも近い、西郷南洲翁宅地跡から訪れると良いでしょう。

 

 

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